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福岡地方裁判所 平成4年(ワ)1141号 判決

原告

甲野太郎

原告

乙山二郎

右両名訴訟代理人弁護士

横光幸雄

本田祐司

被告

西日本鉄道株式会社

右代表者代表取締役

橋本尚行

右訴訟代理人弁護士

國府敏男

古賀和孝

主文

一  原告甲野太郎が、被告に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

二  被告は、原告甲野太郎に対し、平成三年一〇月二六日から本裁判確定の日に至るまで毎月二三日限り月額金六五万六二九七円の割合による金員を支払え。

三  原告甲野太郎のその余の請求及び乙山二郎の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、被告に生じた費用の二分の一と原告甲野太郎に生じた費用を被告の負担とし、被告に生じたその余の費用と乙山二郎に生じた費用を同原告の負担とする。

五  この判決の第二項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  原告らが、被告に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

二  被告は、原告甲野太郎に対し、平成三年一〇月二六日から本裁判確定の日に至るまで毎月二三日限り月額金六六万八一六六円の割合による金員を支払え。

三  被告は、原告乙山二郎に対し、平成二年一〇月二三日から本裁判確定の日に至るまで毎月二三日限り月額金七四万一三七七円の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  事案の要旨

本件は、バス等の旅客運送業等を営む株式会社である被告が、バスの乗務員であった原告らを運賃横領を理由として懲戒解雇したところ、原告らが横領行為の不存在及び解雇権の濫用を主張してその効力を争った事案である。

二  争いのない事実等

1  被告は、鉄道、バス等による旅客運送等を業とする株式会社であり、原告乙山二郎(以下「原告乙山」という。)は昭和三四年六月二九日に、また、原告甲野太郎(以下「原告甲野」という。)は昭和三八年四月一一日に、それぞれ被告に自動車運転士として採用され、以来被告の自動車運転士として、昭和四二年九月一日以降は自動車運転士兼自動車車掌(以下「乗務員」という。)として乗合バス運転の業務に従事していた者である(争いのない事実)。

2  原告甲野について

(一) 原告甲野は、平成三年六月当時、被告後藤寺自動車営業所(以下「後藤寺自営」という。)に所属し、同月二二日には福岡線特急一三番ダイヤのワンマンバス三八五三号車(以下「三八五三号車」という。)に乗務した(争いのない事実)。

(二) 運賃手取行為及び運賃の保管行為

(1) 原告甲野は、同日二〇時一〇分後藤寺バスセンターを出発し、博多駅交通センターに向かう途中、飯塚バスセンターにおいて降車取扱いをしたが、その際、乗客であるO(以下「O」という。)から運賃である三〇〇円を手取りした後、そのうちの一〇〇円を返還し、後続のA(以下「A」という。)及び氏名不詳の乗客(以下「乗客某」という。)から各三六〇円の運賃を手取りした(争いのない事実、〈人証略〉)。

(2) その後、原告甲野は、これらの現金合計額九二〇円を、回数券袋(被告が車内販売用の回数券を入れて乗務員に渡す透明のビニール袋)に入れたまま運行し、終点の博多駅交通センターにおいて被告自動車局営業部付事務員(巡回指導員)西原弘視(以下「西原指導員」という。)に運賃収受手順違反を指摘されるまで保管した(争いのない事実、〈人証略〉)。

(三) 原告甲野が西日本鉄道労働組合(以下「西鉄労組」という。)の組合員であったため、被告は、平成三年八月一二日、労働協約第三九条第三項及び第三四条第一項に基づいて西鉄労組に対し同原告の懲戒解雇処分を提案し、同年一〇月二五日に懲戒解雇処分を承認する旨の回答を得たうえ、同日、同原告を就業規則に基づき懲戒解雇した。

なお、関連する就業規則の内容は別紙記載一〈略〉のとおりであり、労働協約の内容は別紙記載二〈略〉のとおりである。

(争いのない事実、〈証拠略〉)

3  原告乙山について

(一) 原告乙山は、平成二年一〇月当時、後藤寺自営に所属し、同月六日には福岡線特急一五番ダイヤのワンマンバス三七二二号車に乗務した(争いのない事実)。

(二) 原告乙山は、同日一六時三〇分天神バスセンターを出発し、一八時一〇分ころ目的地(終点)の後藤寺バスセンターに到着したが、同所において、降車取扱いをした際、女性の乗客が千円紙幣二枚を四つ折りにして運賃箱に投入しようとしたとき、これを手取りし、紙幣ボックス(回数券の売上金や両替申出金を収納する小型の金庫)に三センチメートルほど残して差し、後に被告自動車局業務部付事務員(巡回指導員)三浦正昭(以下「三浦指導員」という。)に運賃収受手順違反を指摘されるまで保管した(争いのない事実、〈証拠・人証略〉)。

(三) 原告乙山が西鉄労組の組合員であったため、被告は、平成二年一〇月一二日、労働協約第三九条第三項及び第三四条第一項に基づいて西鉄労組に対し同原告の懲戒解雇処分を提案し、同年一〇月二二日に懲戒解雇処分を承認する旨の回答を得たうえ、翌二三日、同原告を懲戒解雇した(争いのない事実、〈証拠略〉)。

三  争点

1  原告甲野及び原告乙山の横領の意図の有無

2  解雇権濫用の成否

四  被告の主張

原告甲野の前記二2(二)の行為は、運賃である現金合計九二〇円を横領の意図をもって故意に手取りし、回数券袋の中に入れて保管していたものであり、原告乙山の前記二3(二)の行為は、運賃である千円紙幣二枚を横領の意図をもって故意に手取りし、保管していたものであって、いずれも、就業規則第六〇条第三号、第一一号に該当する。

五  原告の主張

被告が運賃の手取りを禁止しているのは、右行為が違法だからではなく、これによって乗務員が運賃を着服横領する機会が生ずるからにほかならない。

本件において、原告甲野が乗客から九二〇円を手取りし、これを回数券袋の中に入れてバスを運行したのは、硬貨両替器が故障したため、右硬貨を釣り銭が必要な乗客のための両替金又は釣り銭として使用するためであり、また、原告乙山が乗客から二〇〇〇円を手取りし、これを紙幣ボックスに差したのは、これを釣り銭として使用するためであって、いずれも、私用に供するためではなかった。

したがって、原告らの行為はいずれも懲戒事由に該当せず、仮に該当するとしても、本件各懲戒解雇は解雇権を濫用したものというべきである。

第三当裁判所の判断

一  被告による運賃手取りの禁止の指導等について

証拠(〈証拠・人証略〉)によれば、次の事実が認められる。

1  被告は、運賃の取扱手順を規則として制定し、これを「乗務の手引」という手帳の体裁にしたうえ全乗務員に配付するとともに、業務常会、点呼時や個人面接の際の指導を通して運賃の手取りを厳に戒め、更には、昭和六三年五月一七日から平成二年一二月一〇日にわたる累次の警告文の掲示によって、右趣旨の周知徹底を図ってきた。

2  また、西鉄労組も、被告の右の立場を支持し、昭和四五年一〇月二八日に被告との間で開催された第一回適正化委員会において右態度を表明するとともに、不正を働いた者については額の多少を問わず一切の擁護をしないとの方針を打ち出し、まず、筑豊支部執行委員会名義で昭和四六年二月六日付けの「職場から不正・不規律行為を追放しよう」との表題の掲示文を張り出し、不規律行為の防止を呼びかけるとともに、不正行為者に対しては助命工作は一切行わない旨言明し、その後も、同支部執行委員会名義や中央執行委員会名義の同趣旨の掲示文によって組合員の自覚を促し、また、その組合新聞においても、遅くとも平成元年一〇月以降毎年同時期に不規律行為の防止を呼びかけた。

3  右のような経過もあり、被告は、運賃を横領した乗務員に対しては、懲戒解雇を原則とした厳しい対応に終始してきた。

二  原告甲野について

1  原告甲野の手取行為の経緯

証拠(〈証拠・人証略〉)によれば、次の事実が認められる。

(一) 原告甲野は、平成三年六月二二日二〇時三〇分ころ飯塚バスセンターに到着し、降車取扱いを開始したが、三、四名の乗客が両替器を利用しないまま料金を支払って降りた後、Oが三六〇円の料金を支払うため百円硬貨を両替器に入れたところ、両替金が出なかったため、原告甲野にその旨を告げた。原告甲野は、返却ボタンを数回押したが、百円硬貨も戻らなかったので、同所で降りるべくOの後ろに立っていた乗客に対し小銭を持っている者はいないかと尋ねたところ、A及び乗客某が、それぞれ五十円硬貨及び十円硬貨各一枚を含む三六〇円を差し出したので、これらを手取りした。しかし、百円硬貨四枚(両替器中の一枚を含む。)を受け取って渡すべき四〇円の釣り銭は用意できなかったため、原告甲野はOに対し、一旦受け取った百円硬貨三枚のうち一枚を返却するとともに、次にバスに乗った際、差額の六〇円を支払うよう指示した。その後、原告甲野は、手許に残った右九二〇円を回数券袋に保管したまま、バスを発車させた。途中、原告甲野は、中洲の停留所を通過した辺りで、両替器から硬貨が出る音を聞き、両替器が作動するようになったことを知ったが、その後も、前記九二〇円は運賃箱に投入せず回数券袋に入れたまま運行し、終点の博多駅交通センターで西原指導員に運賃収受手順違反を指摘されるに至った。

(二) 三八五三号車はその後、博多営業所に回送され、同所で両替テストが行われたが、両替器にはなんら異常は認められなかった。

(三) 被告のバスに搭載される両替器は従来から故障が多く、西鉄労組から被告に対し改善策を申し入れたこともあった。

(四) 前記手取行為につき原告甲野の調査(取調べ)に当たった被告自動車局営業部付係長柴藤隆司は、運賃横領の意図があった旨の供述を引き出すべく、同原告に対し、〈1〉 たとえ両替器が故障したとしても、飯塚バスセンターでは助役等に話して両替金を借りることが可能であり、同原告もその経験があるのに、そのような措置を講じなかったのは不自然であること、〈2〉 中洲の停留所を通過した辺りで両替器の故障が直ったことが分かっていながら、終点で運賃収受手順違反を指摘されるまで前記九二〇円を運賃箱に投入しなかったのは不自然であること、〈3〉 手取りした運賃中に五十円硬貨があったのであるから、Oに対しては五〇円を返却して、後日差額の一〇円を支払うように指示すべきであって、一〇〇円を返却したのは不自然であること等を指摘して執拗に責め立てたが、同原告は、終始横領の意図を否認し、前記九二〇円は釣り銭用として保管した旨主張し続けている。

2  原告甲野の手取行為の評価

(一) 右事実によれば、原告甲野は、Oが両替すべく投入した百円硬貨が両替器の故障のため両替できず、また、右硬貨自体も戻らなかったため、釣り銭を得るべくA及び乗客某から七二〇円の運賃を手取りしたが、それでも四〇円の釣り銭が用意できなかったので、一旦Oから受けとった百円硬貨三枚のうち一枚を同人に返却するとともに、後の乗客に対する釣り銭として確保すべく、九二〇円を回数券袋に入れて自ら保管したものと認定すべく、また、右故障は、車の振動ないしなんらかの事情で自然に直ったものと認定するのが相当である。

右1(四)に認定した〈1〉ないし〈3〉の指摘は、いずれも尤もであり、特に、被告において運賃の手取りが厳禁されていたことに照らせば右〈1〉、〈2〉の指摘は重要であり、また、Oが運賃の差額を後に支払うことが保証されていない状況の下では、被告の損害を少なくするため、Oに対し百円硬貨を返却せずに五十円硬貨を手渡した方が適切な措置であったことはいうまでもない。

しかし、乗客を必要以上に待たせず、また、運行ダイヤに著しく反しないように腐心し、かつ、運行中は事故防止等に注意を集中している乗務員に対し、その場その場で最も適切な措置を採ることを求めるのは、些か難きを強いるものといわざるを得ないし、まして、右の不自然さの故をもって原告甲野に運賃横領の意図があったものと推認することは到底できない。

そのほか、原告甲野に運賃横領の意図があったことを認めるべき証拠はない。

(二) そうだとすれば、原告甲野の本件手取行為が、就業規則第五九条第三号に該当することは明らかであるが、同第六〇条第一一号に該当するとはいえないし、また、同条の各号列記事項の悪質さに鑑みると、同条第三号に該当すると解するのも困難である。

仮に同号に該当するとしても、横領の意図を伴わない単なる手順違反にすぎない運賃の手取行為に対し懲戒解雇をもって臨むのは、それが企業外への排除であり、しかも退職金の支払いもなされない(〈証拠略〉、弁論の全趣旨)ことを考えれば、苛酷に過ぎるものというべく、客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当として是認することができないから、原告甲野に対する本件懲戒解雇は権利の濫用として無効と解するのが相当である。

3  原告甲野の賃金請求権

証拠(〈証拠略〉)によれば、原告甲野は、解雇された当時、被告から、月額六五万六二九七円(年額七八七万五五七五円)の賃金を得ていたことが認められる(右証拠〔いずれも支給明細書〕中には、「共済贈与金配当金・他」との項目の下、平成二年一月に五万一九九九円、同年二月に七万円、同年一〇月に六三二〇円、同年一一月に一万四一〇〇円がそれぞれ支払われた旨の記載があるが、右は、その名称及び支給実態から見て労働の対償としての賃金とは認めがたい。)。

また、弁論の全趣旨によれば、被告の賃金支払日は毎月二三日であることが認められる。

三  原告乙山について

1  原告乙山の手取行為の経緯

原告乙山は本件の手取行為につき、後に降りる乗客が五千円札を出した場合の釣り銭として保管する意図であった旨弁解する(〈証拠・人証略〉)が、運行の中途において両替器が故障した場合に釣り銭用として小銭を手取りするのならともかく、右のような事情もなく、また、後に降りる乗客が五千円札を差し出すという蓋然性もなんら認められない状況の下で、千円札二枚を手取りして自己の管理下に置くというのは、極めて不自然、不合理であって、右弁解はにわかに信用することができない。

そのほか、原告乙山の右手取行為を合理的に説明し得る証拠はなんら存在しない。

2  原告乙山の手取行為の評価

右の事情に、原告乙山が平成二年一〇月九日及び同月一〇日に行われた被告の調査(取調べ)の際、前記二〇〇〇円は持ち帰るつもりであったと供述したうえ、何か言いたいことはないかと問われて「後藤寺自営所長をはじめ皆さんに大変御迷惑をおかけしました。今後の手続を一日も早くお願いします。」旨述べ、特に、同月一〇日には、同原告の乗用自動車から発見された現金一四万円につき「まちがいなく私金ですので、よろしかったらかえしていただきたいと思います」と述べ、そのころ、上司である後藤寺自営所長の桑名秀人に対し、「いろいろご迷惑をかけました。調査についてもう腹を決めました。」という趣旨のことを述べたうえ、雇用保険の受給について相談した事実(〈証拠・人証略〉)、同原告が三浦指導員から運賃収受手順違反を指摘された際、あわてて右二〇〇〇円を運賃箱に投入しようとした事実(〈証拠・人証略〉)及び前記一認定のとおり被告においては運賃の手取りが厳禁されている事実を併せ考えれば、同原告は横領の意図をもって前記二〇〇〇円を手取りし、自己の管理下に置いたものと認定するのが相当である。

そうだとすれば、原告乙山の本件手取行為は、就業規則第六〇条第三号、第一一号に該当するものというべく、被告の同原告に対する懲戒解雇処分は理由があり、同原告に横領の意図があった以上、右処分が客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当として是認することができないものとは到底いえないから、権利の濫用に当たるとはいえない。

四  結論

以上の次第で、原告甲野については横領の意図を認定することができないから、懲戒解雇事由は存在せず、仮に存在するとしても、解雇権の行使は権利の濫用に当たるので、雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認するとともに前記に認定した限度において賃金の請求を認め、原告乙山については横領の意図を認定することができ、解雇権の濫用の主張は理由がないので、その請求を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石井宏治 裁判官 工藤正 裁判官川野雅樹は、転補のため、署名押印することができない。裁判長裁判官 石井宏治)

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